大切な人との
コミュニケーションギャップを断ち切る
《未来志向型 幸せエコーフレーズメソッド》
心理カウンセラー 田山 夢人
《著書》
はじめまして。
心理カウンセラーの田山夢人です。
実は私も以前、人間関係がうまくいきませんでした。
コミュニケーションの悪循環。
いわゆる「共依存」的なコミュニケーションに苦しんでいたんです。
幼い頃の私は、自分の思い通りにならないと怒るし、相手は自分を大切にすべきだと思ったし、相手は自分を優先するべきだと思っていました。
それが小学生、中学生、高校生と上がってくると今度は、
「この人は私が面倒見なきゃ」
「私がなんとかしなきゃ」
「まずは相手を優先しよう」
そんな風にどんどん世話を焼き、いつの間にか私は、
「なんでもやってくれる人」
「言うことを聞いてくれる人」
「何をしても怒らない人」
「わがままを聞いてくれる人」
という風に思われるようになり、いつの間にか相手はやりたい放題になっていきました。
だけど私もそれに反発できないんです。
それをしたらこの関係が壊れてしまうと思っていたから。
本音が言えず我慢の日々でした。
自分の伝えたい本当の気持ちは、相手から嫌われたりすることを恐れ、日に日に言えなくなっていったんです。
そんな自分が作り上げたコミュニケーションは、相手といい関係を作るどころか関係を悪化させていき、結局、関係をこじれさせていくのです。
どんなことをしても裏目に出てしまい、お互いのコミュニケーションにギャップが出ていくばかりの日々で自分に自信を失っていくばかりでした。
いつも同じパターンで恋愛関係もこじれてうまくいかず、将来も見えなくなっていたある時、仕事で出合ったアドラー心理学を取り入れ始めたのです。
そこから自分自身を苦しめていたコミュニケーションギャップがスルスルと紐解けていき、共依存から抜け出し、日常が変わったのです。
私自身、素敵なパートナーにも巡り合えて結婚もでき、可愛い娘もできましたし、クライエントさんたちも大切な人とのコミュニケーションギャップが断ち切れ、幸せな人生へとシフトしていっています。
運命は決まったものじゃないと私は思うんです。
よく「私はこんな運命なんだ」とか、「どうせ私はうまくいかない」と、あきらめの声を発している人をよく見かけます。
でも、希望を持ってほしいです。新しい恋や人間関係をあきらめない。
あなたも大切な人と、幸せな人生を送ることができます。
現在、私は1,700件以上のセッションでの経験を活かした
《アドラー心理学カウンセリング》で、
カウンセリング、心理療法をしながら、心理学を通して人々が平和で協力的に、幸せを感じながら大切な人と生きていけるよう、全力でサポートさせていただいております。
↓詳しいプロフィールは下記をご覧くださいね↓
悩み解決にはカウンセラーとの相性が大切
心理カウンセリングを受けて悩みが解決するかどうかは、クライエントであるあなたと心理カウンセラーである私との相性が非常に重要なポイントとなります。
ですので、私がどのように悩み、どのような経緯で悩みを克服しカウンセラーになったのか、興味のある方はぜひご覧くださいね。
|甘やかされて育ったひとりっ子
私は東京都品川区に生まれまして、宮城県仙台市育ちです。
母の実家が東京だったのもあり、休みのたびに東京と仙台を行ったり来たりして、私にとってはどちらも「あ〜帰ってきたな」と思える故郷に感じます。高校卒業までは仙台で、その後、大学進学で神奈川県川崎市に移り住み、根を張っています。
そんな私は父と母の3人家族。ひとりっ子。12月15日生まれの射手座でA型です(そんな情報いらないですかね?笑)。
私自身、母親が37歳の時の子どもで、その当時としてはいわゆる「遅い子」でした。父もその時43歳。
そんな理由もあり、大変にかわいがられて育ったと思います。
何でもしてくれるし、何でも買ってくれる。その度合いはすごかったと思います。
印象的に残っている記憶があって、年末くらいに家族で母の東京の実家に行った時、両親の昔からの友人やきょうだいが集まり、忘年会をしていたんです。
何かの料理を父に取ってもらおうとしたんですかね。
両親の友人の1人が「田山さん(私の父のこと)ダメだよ、そんなのは自分でやらせなきゃ」と言っていたんです。その時に私は何だか恥ずかしいというか、申し訳ない気持ちになりました。
自分でやるべきことすら自分でできておらず、やってもらってるんだなって。
しかし、それでも自分でやろうとはせず、結局は父が料理を取り分けてくれたんですけどね。
とにかく私という人は、甘えに甘えて、自分ではやらずに人にやってもらうような子どもでした。
|母の顔色をうかがう私
両親ともに大変に私を可愛がってくれましたし、私は両親のことが大好きでした。
しかし、正直言うと幼い頃は母がとてもヒステリックな時期があり、大好きである一方、とても怖く感じてもいて、母の地雷を踏まないようにビクビクと顔色をうかがいながら過ごしていました。
すごい怒鳴るんですよ。突然爆発したかのような怒り。
それを感じ始めたのは幼稚園〜小学校くらいからでしょうか。
たとえば、私が飲み物をこぼすと、「何してんのー!!」とブチ切れる。声を荒げて怒鳴ってくるんです。萎縮です。子どもながらにすごい神経質になった記憶があります。
こぼさないように気をつけなきゃ。
ものにぶつからないように気をつけなきゃ。
ボクはものを壊しちゃうんだ。
怒らせちゃいけない、怒らせちゃいけない…
そんな風に母の顔色をうかがいつつ、どこか恐る恐る甘えつつ…みたいなことを常にしていました。
もうひとつ印象的な記憶があって、小学校で漢字のテストがあったんです。
「右」と「左」って漢字がありますでしょ?
漢字テストでおそらく間違えまして、家の中で漢字練習ドリルに、ひたすら「右」という漢字を泣きながら100回以上書き続けたのを覚えています。
母が隣で大声で怒鳴っているんです。
「右は口でしょう!!!!右は口って言いながら覚えるまで書き続けなさい!!!!」
この恐怖はいつになったら終わるのだろうと、幼いながらに泣きながら思っていました。
時をもう少し前にさかのぼると、母のあまりにヒステリックな怒りがおさまらず、私は泣きながら電話のところに行って、泣きながら「パパ、早ぐ帰っでぎで〜」と訴えていたのを覚えています。
当時、父は単身赴任で週末しか帰ってこない時期がありまして、平日のほとんどは母と2人の時間でした。
電話をかけても父が帰ってこられるわけもなく、まだその当時は幼く電話の掛け方も知りませんでしたから、絶体絶命の大ピンチでしたね。
こうしてみると母とは複雑な関係だったなと思います。
私は母のことが好きでしたが、一時期は「怒らせてはいけない人」として顔色をうかがいながら、かなりビクビク毎日気を遣いながら過ごしていたと思います。
でも今になって思うのですが、きっと母も辛かったのだと思うんですよね。
後から聞いた話ですが、幼稚園で母は周りのお母さんたちよりだいぶ歳が上で、よく仲間はずれにされていたそうでした。
東京から仙台に来て、友だちもいないわけです。
父は単身赴任で家に居ませんでしたから、きっと1人で頑張っていたんだと思います。
そう考えると、まぁ仕方のない時期だったのかなと今では納得です。
|嫌われないために「いい子」でいよう
私は母がいつ怒るか分からなかったということもあって、幼いながらにある戦略を考えます。
「いい子でいよう」
「優等生でいよう」
というものでした。
今考えると、幼い頃の私の「親に甘える」という行為も、どこか機嫌をうかがって「子どもっぽいことしなきゃ」と思ってやっていた部分もあるのかもしれません。
同時に、勉強ができず、親から怒られる日々に私は「嫌われちゃう」「見捨てられちゃう」と心のどこかで危機を感じたと思うんです。
そこで当時の私の無意識は「勉強はできないけど、せめていい子に振る舞おう」というルールブックを決めたのだと思います。
大人の口調を真似したり、お辞儀を頑張ってみたり、親に必死で甘えてみたり、親が怒ったらとにかくひたすらに謝るなど工夫を凝らしていたわけです。大人っぽく振る舞っていたんですね。おかげで実際に外で出会う人たちからの印象は悪くなかったと思います。人当たりもよいといわれ、自分が幼い頃に取った戦略に助けられた部分も多かったです。
しかし、それは同時に自分が他人からどう思われるかを異様に気にするようなライフスタイルへと成長していきました。
|相手を優先しすぎて爆発してしまう
そんな私の性格が恋愛関係でうまくいくわけもなく…。
基本的に私は「いい人」でいたかったので、どうもお相手をかいがいしくお世話してしまうのです。とことん尽くしてしまうような感じ。相手の望むことなら、可能な限り何でもやってあげる。相手を優先して、言いたいことは我慢して、言われたことは何でもやりました。
今思えば、そうすることで相手を自分の元から離れさせないようにしていたんでしょうね。
「こんなに私はやっているんだから他のところにいくなよ、見捨てんなよ」って。
でもそういう思いを持ちながらも、気持ちは伝えたいわけです。
「私だって嫌なことがあるんだ!」
「この我慢しているツラさを分かってほしい!」
でも怒ってしまっては「いい子」ではないし、きっと相手にとって「いい人」ではいられなくなる。相手が好きになったのは、優しく温厚で「いい子」な私だから、というように自らに言い聞かせ、本音をぐっと飲みこみ、自分が悪い、自分が我慢するという道を選びました。
そうなれば結局、私自身の気持ちは伝えていませんから、黙っている私の反応を相手はいいように解釈し、相手のペースで事は運ばれていきます。
私は言われたい放題、やられたい放題。相手の言動はエスカレートして、自分の気持ちと相手の気持ちはどんどん離れていき、コミュニケーションギャップは広がるばかりでした。それでも私は自分が嫌われることを恐れるあまり、相手の要望は何でも聞き、叶え、尽くして尽くして尽くし続ける。
その結果、お金も人間関係も失っていました。
結局お相手に伝えることができなかった気持ち、自分自身のふがいなさが溜まりに溜まって、マイナスな感情をぶつけてしまってうまくいかなくなるんです。
悪循環でしたね。
相手のことが好きなのに、好きなことが伝わってほしいのに、結局伝わるのはマイナスな印象だけでした。
|交友関係が「私」と「あなた」の二人だけ
共依存的だった自分の関わり方は、相手からも同じように返ってきました。
関わり方がエコーしたのです。
気づいたら交友関係が自分とお付き合いしているお相手の二人だけという限定的で閉鎖的な関係になっていきました。
女性と話してはいけない
女性が居る場所に参加してはいけない
イベントや行事への出席も好ましくない…
私は嫌だと思いながらもお相手に嫌われないために従っていたんですね。
機嫌を取るために何でもいうことを聞いていました。
しかしお相手は男性がいるところにも出るし、イベントにも行けるし、何でもOK。私はすべてダメなのに「なんで?」と不公平さを感じてもいました。
そんな関係性は続けられるわけもなく、破局したことはいうまでもありません。
しかし、今になって振り返ってみると、結局のところそういった選択をしていたのは自分だし、相手をそのようにさせたのも自分なのだと、今では思うようになったからこそ幸せな人生を送れているのも事実ですね。
|コミュニケーションの悪循環を解決した心理学
うまくいかない恋愛関係に加えて、仕事での人間関係や、その当時打ち込んでいた音楽での挫折。さまざまなことが重なり、自分に対する信頼感がすっかり失われていました。
そんな失意の中、私は話し方の先生として音楽教室でマンツーマンのレッスンを行っていました。
その中で私の受け持った生徒さんたちは滑舌や発声というより、人間関係の悩みを抱えている方が多かったのです。仕事でうまくいかなかったり、家庭環境が影響して声が出なくなったり、異性に対しての苦手意識など、どこか私の抱えている問題と重なる部分があったんですね。
まるで自分を見ているようでした。
そう思ったら放っておけず、先生として生徒さんたちの悩みを「なんとかせねば!」と使命感が湧いた自分がいました。
しかし、私はしょせん音楽大学の声楽科を出た身です。発声や滑舌の知識だけしか持ち合わせておらず、それだけではさすがに問題が解決しなかったのです。
そこで必死に解決策を探している中で出会ったのが、アドラー心理学でした。
大学時代に授業で取っていた心理学を学び直し、アドラー心理学のマインド、心理療法・カウンセリングのメソッドを積極的にレッスンに取り入れはじめてから、さまざまなことが変わっていったのです。
生徒さん自身も自信を取り戻し、元気に日常へ戻っていく。
まったく喋れなかった生徒さんが、笑顔で大声で笑い、歌うようにまでなった。
尽くして尽くしていつも破綻してしまっていた女性の生徒さんが、そのコミュニケーションから抜け出して幸せな結婚を実現させた。
そして同時に、私自身も自分のルールブックが段々と紐解けていき、感情的になることも少なくなり癒されていったのです。
相手を優先しすぎたり、尽くしすぎたり、我慢して爆発するなど、共依存的なコミュニケーションがすっかりなくなったんですよ!
そうしてアドラー心理学のカウンセリングメソッドは生徒さんたちの悩みだけではなく、私自身の悩みも解決してしまったのです。
|自分のルールブックを知って人生が変わった
人にはそれぞれ、幼い頃に決めたシンプルな自分のルールブックがあります。
自分の中にあるルールブックが分かってきたことで、自分自身を受け入れることができるようになったんです。
昔の自分は「自分はダメでいい子にしないと他人はかまってくれないし、物事はうまくいかない」と信じていました。
しかし、それも自分が作り上げた幻想で、そんな風に頑張らなくても自分には良さもあるし魅力もあるのだと、自分自身を信じられるようになってきたんですね。
そうなったおかげか、私はまた恋愛をする機会に恵まれ、大切だなと思えるパートナーに出逢い、結婚をすることができました。当時の私からは想像もできなかった「対等なパートナーシップ」を肌で感じつつ、夫婦で協力をしながら幸せに暮らしています。
|大切な人と暮らす、自分らしい幸せな人生へ
夫婦でお互いに協力、尊敬し合いながらの関係は、今まで以上に人生のさまざまなことに素敵な影響を与えてくれました。
今まで話し方の先生として行っていたレッスンからカウンセリングや心理療法の部分を抜き出し、人間関係や心のお悩みに特化した心理カウンセリングオフィスを始めたのもそのうちの一つです。
1人でも多くの人がコミュニケーションの悪循環から抜け出して、自分と相手、2人の幸せをつかみ取ってほしい、そんな思いで活動しています。
そして個人のカウンセリングにとどまらず、人とのコミュニケーションギャップを解決して、自分らしさを活かして協力的に生きていく方法を学ぶための団体「日本アドラー心理学振興会」も立ち上げることができました。
個人の活動としては、Kindle書籍「自分らしく生きてたら、何だか人生うまくいく。」を出版する機会にも恵まれ、Amazonランキング心理学、精神医学、自己啓発などを含めた16部門で1位獲得&ベストセラーも獲得することができたのです。
その後も3冊の著書を出版し、いずれもAmazonランキングで1位とベストセラーを獲得しました。
今までのうまくいっていなかった自分の人生が嘘のように、仕事もプライベートも幸せな日常を今では過ごすことができるようになっていったのです。
自分のルールブックを知り、自分を受け入れることで人生は変わり始めます。
今までのルールブックをアドラー心理学のカウンセリングでより幸せなルールブックにアップデートして、大切な人と過ごす幸せな人生にしてみませんか?
あなたの幸せな人生を応援していますからね!
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