恋愛依存・共依存・AC専門
大切な人とのコミュニケーションギャップを断ち切る
アドラー心理学カウンセラーの田山夢人です。
カウンセリングをしてますと、クライエントさんの中には「不倫をしてしまったんです」とか「○回流産をしていて…」といったことをお話しくださる方も少なくありません。
その本人たちは、そのことにより大きな後悔や悲しみなどの劣等感を抱えていらっしゃいます。
もうダメだ、取り返しがつかない、私は幸せになれないんだ…と、希望を失いかけている状態です。
実は今日のお話、書くかどうか悩んでいました。
おわかりのようにセンシティブな内容ですし、見る人の立場によっては「そんなのあり得ない!」とか「悪いに決まってる」とか、この記事の内容に対して許せない気持ちでいっぱいになる方もいるかもしれません。
なので、今日は明確に読んでいただきたい方をお伝えしておきます。もしそこに該当しなければ、その時点でこの記事を読むのをやめてください。
読んだ上での批判は受け付けませんのでね。
今回、この記事を読んでいただきたいのは「自分が不倫をしてしまって後悔している人」と「流産のショックから立ち直れない人」に向けてお話をします。
もし該当しないようでしたら、読むのをやめてくださいね。どんな見方や捉え方も、寛容に受け入れてみる!というチャレンジャーな方は、ぜひ読み進めてみても面白いかもしれません。
|ひとまず「よかった」と言おう
まず、今回のお話で何が一番言いたいかというと、「不倫してよかったじゃない」「流産してよかったじゃない」ということを伝えたいのです。
ふざけるな!という声も聞こえてきそうですが、まぁ最後までお聴きください。もちろん、ここで読むのをやめてもOKです。
アドラー心理学のカウンセリングの役割の一つは、クライエントさんが抱えるマイナスな感情や気持ちを抑えてあげることです。
だから私はクライエントさんや生徒さんたちに「日々の中で”よかった”を探してください。嫌なことが起きても、まずは”よかった”と口にしてみてください。」とお伝えしています。
私がアドラー心理学のカウンセラーである以上、クライエントさんが何をしていようとマイナスな感情や気持ちを抱えているのなら、私の個人的な価値観は置いておいて、「よかった」を伝えます。クライエントさんにも「よかった」を探してもらいます。
でも今回のこの「不倫」と「流産」に関しては、割と心から「よかった」と伝えられそうな気がしているのです。
|不倫が起こした奇跡
というのも、私はひとりっ子でして、3人家族でした。
母が37歳で、父が43?歳の時の子どもです。この年齢での出産は今でこそ普通になってきましたが、当時としてはかなり遅い子でした。
しかし、これにはどうやら理由があったみたいなんです。
詳しい話は私もよくわからないのですが、私が次第に大きくなって大学も過ぎると、両親は私を飲みに連れていき、今まで話さなかったことを話してくれる機会が増えてきたのです。
ここからが話すかどうか悩んでいた部分でもあるのですが、どなたかの生きる勇気や立ち直る希望になるのなら話してみてもいいかなと思い話しますね。
まず、実は父はもともと家庭があったのです。
妻子持ちで子どもが2人いたようでした。子どもはどちらも女性。私はひとりっ子と思っていましたが、実は腹違いの姉が2人いるようです。会ったことはないですけどね。
しかし、私の母と出逢い、恋に落ち、結ばれ、今こうして私がいます。
母と出逢ったのが不倫だったのか、離婚してからの話だったのかは定かではありませんが、父は相当なイケメンで愛に生きる人でしたので、まぁ不倫かもしれません笑
しかし父は、離婚してまでも今の母と一緒になることを選び今日まで生きてきました。別れた娘たちの養育費もしっかりと払いながら、音大に行く!なんていう、お金のかかる私を育ててくれていたのです。
父が母と出逢わず、ずっと元あった家庭にいたら、私はこの世に存在していませんでした。
残された前の奥さんや娘さんたちからしたら、どんな気持ちかは私には想像もできません。
私が妻と結婚する時、戸籍を移す関係で戸籍謄本を役所で目にするわけです。
すると私の腹違いの姉2人の情報も書かれていて、結婚に関しての情報も書かれていた。
それを見ると、やはり父がいなくなったことによる影響はそれなりに受けているのだろうなと、心理カウンセラーの私としては感じ取れ、何とも言えない複雑な気持ちにもなるわけです。
でも、私は生まれ、この世に存在でき、今こうして悩みを抱える人たちのサポートをすることができています。
よかった。ありがとう。
どんなに父が不倫をしてようとも、私は父にこの言葉しかありませんし、何なら父の生きる姿勢は誇りにすら思います。
まずこれは私からみた、ひとつの「よかった」なのです。
「不倫してよかったじゃない」って。
|流産も奇跡を生んだ
そしてもうひとつ。
父と母は結婚して子どもを産みました。
しかし、それは私ではなかったのです。
記憶が曖昧ですが、確か1人目は流産だったようなことを母が言っていたと思います。
私はここでも、実は兄がいたのです。
会わずに天国に行ってしまいましたが。
私はずっと1人と思っていましたが、すでに3人の兄と姉がいたようでした。
流産をした母のその当時の心境ははかり知れません。
でも、ここでもまた1人目の兄がちゃんと産まれていたら、果たしてその後、両親は私まで産んでくれたのだろうか…産んだとしても、それは私になったのだろうかと考える自分がいるのです。
それだけでなく、流産をして、それで両親がそこであきらめていても、私は今ここに存在していないわけです。
そう考えると、「流産してよかったじゃない」って。
|どんなことでも奇跡に繋がっている
よくこの世に生まれること自体、3億分の1の奇跡と言われますね。
しかもそれだけでなく、その前段階で私は、父が母と出逢い、前の家庭と離れる決心をし、母と結婚してくれて、流産しても諦めずにいたから、今の私がいるんです。
不倫も流産も、その時、その瞬間では悪く感じることもあるかもしれない。
でもその時だけで判断することは時期尚早だと私は思うんです。
そのできごとが奇跡を生むこともあるし、多くの「よかった」を同時に生んでいるんです。
周りはなんというかわからないし、自分で自分を責めるかもしれないけど、その事象をどう捉えるかはあなた次第です。
あなたがどんなに悪いことと決めつけていても、こうやって私みたいに、そういうことがあったから存在できている命があります。
きっと”自然の摂理”ってそういうことなんでしょうね。
もちろん流産をあきらめた人がいたって、それはそれで「よかった」んです。
そこから生まれる奇跡や「よかった」がある。
良い悪いなんて、人間が勝手に決めた価値観であり、フィクションです。
そのフィクションを真実と思い込んで、そこにしがみつくのをやめましょう。
自然界には良い悪いなんてない。宇宙規模で見たら良い悪いなんてない。
そんなに重荷を背負うことはありません。
不倫をしても、流産をしても、大事なのは「このできごとをどう捉えて、これからどうしていくか」ですからね。
あなたの一歩は、未来で必ず報われます。
追伸
私の両親はまだ生きていますので、もしかしたらこの記事は早々に非公開にするかもしれません。
だいぶパーソナルなこと書いてしまっていますからね。その時はあしからず。
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